記憶にあるのは、当時の朝鮮にあった娼家の姿だ。

強制連行、私の耳に入らないはずがない

https://www.wish-note.com/u/dghgwr http://www.kouotu.com/user/dghgwr  当時の行政系統は、朝鮮総督府→道→郡→(内地の市町村にあたる)邑(ゆう)・(さらに小さい規模の行政区分にあたる)面となっている。西川さんが携わった、朝鮮人の戦時動労働員は、総督府の指示によって、道・郡が邑・面に割り当てを行い、実際に人員を集める。

 西川さんは「朝鮮に徴用令が適用(昭和19年9月~)される前から『徴用』と呼ばれていたが、その際には労働条件をきちんと提示し、納得した上で内地へ行った。待遇も悪くなかったし、殴る蹴るで無理やり集めるなんて絶対にあり得ませんよ。もし、軍などが婦女子を慰安婦として強制連行したような事実があれば、(内務課長の)私の耳に入らないはずがありません。慰安婦を募集していたのは女衒(ぜげん)とよばれた業者です」と話す。

■戦前、戦中の実態も知らず机上の空論をもてあそぶのは慨嘆に耐えない

http://www.nyan-wan.com/users/view/265 http://www.rokyu.net/user_profile.php  記憶にあるのは、当時の朝鮮にあった娼家の姿だ。「カルボチブ(朝鮮語で娼家)」と居酒屋を指す「スルチブ」の2通りがあり、どちらの店にも、朝鮮人の若い女性の娼婦(しょうふ)を置いていた。公娼制度があった時代で、面事務所があるような街には必ず、2種類の店があったという。慰安婦になった中には、こうした店の女性も多かった。